舞鶴に見られる赤れんが建造物

2011-04-12

旧海軍の主要施設の多くが赤れんが造りで建てられたため、舞鶴には多くの赤れんが建造物が残されています。平成八年度の調査では約百二十件のれんが建造物が確認されました。明治三十四年の海軍舞鶴鎮守府開庁に伴い、軍港として発展した東地区。武器や軍需品などの保管倉庫として、大正十年までに次々と赤れんが倉庫が建ちました。明治時代に建てられた倉庫は大正時代のものと比べ、外観に意赤れんが倉庫群匠的な工夫が凝らされ丹念に造られています。北吸の十二棟からなる赤れんが倉庫群は、全て二階建て。一番大きいものは舞鶴市役所横にある「舞鶴倉庫」と書かれた舞鶴市政記念館倉庫です。現存する日本のれんが建造物の中でも貴重な近代化遺産の建造物群です。九棟が倉庫として現役で使用され、他の二棟は舞鶴市政記念館、舞鶴市立赤れんが博物館として活用。残る一棟も平成十九年(二〇〇七)四月に舞鶴智恵蔵として開館されました。全工函普甲寺跡は、宮津市から福知山市大江町に越える普甲峠から五キロほど南東に下った普甲山の中腹、寺屋敷にあります。中世には京都にも知られた大寺院でした。天養元年二一四四)橘忠兼が編さんした、わが国最初の国語事典『伊呂波字類抄』の「諸寺」の中に「普甲寺」の項目があり、同寺は延喜年中(九〇一〜九二三)に建立されたと記し、鎌倉中期の『拾芥抄』では、普甲寺の本願を美世上人としています。美世上人の生没年、事績とも不明確で、創建の経緯もわかりません。『沙石集』には、見鴨(普甲)において極楽往生・聖衆の来迎を祈る上人があり、これが迎講と名付けられたという説話があります。現在は、普賢堂の周りの礎石と、前方の普甲寺跡の仁王門と伝える礎石が残っています。これらの礎石は自然石の割石で、上面を加工するなどの痕跡はありません。礎石の場所から西へ二百メートル下ったところの畑からは、鎌倉時代中ごろに古瀬戸の瓶子が出土しています。また、普甲寺跡の近くから経塚が発掘されており、その際出土した観音立像の金銅仏が東京国立博物館に所蔵されています。

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