昭和20年8月14日午後11時、日本はポツダム宣言の無条件受諾を決定し、太平洋戦争は終わった。国民の大多数が住む家を失い、食べる物も着る物もなかった。それでも生きようとする力はすさまじかった。敗戦から五日後、早くも東京・新宿の焼け跡にヤミ市がたつ。やがて全国の焼け跡に雨後のタケノコのようにヤミ市ができ、そこだけは物が並んだ。12月末の東京中心のヤミ値は公定の数十倍。米一升65円、味噌一貫目80円、砂糖一貫目800円、軍用靴下20円、ワイシャツ80円……。当時のサラリーマンの給料は、ヤミのワイシャツ二枚半程度である。都会生活者の多くが農村へ買い出しに行っては手持ちの衣類をコメやイモと物々交換した。この一枚一枚衣類をはいでいくタケノコ生活は、戦後数年間続く。昭和22年10月、一時途絶えていた衣料品配給制(昭和17年2月実施)が復活。だが、制度はあっても実物なし。年間一人当たり1ポンド(戦前平均9.4ポンド)程度の綿製品が民間衣料用として確保されたに過ぎない。